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有限会社竹内快速鋸は、鋸(ノコギリ)、包丁、鎌、包丁研ぎ器など、お客様に愛される商品を製作しております。

職人の技あり日本

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鋸とおしん

2010/05/12

 昭和何年頃でしたでしょうか?当時、日本タバコ産業がスポンサーで”日本謎学の旅”と言うテレビ番組がありました。突然、私の所にテレビのディレクターが南川さんとおっしゃる方と他にもう一人、製鋼会社より聞きましたと訪ねてこられました。お話をお聞きしますと、テレビ番組では有名な”おしん”と言う番組を作った方でした。

 用件は、”謎学の旅”で両刃鋸はどのようにして作られたか、テレビ放映のため職人を探して、「鋼を作る会社に聞けば早い」と行った所、名人と言われる宮野鉄之助氏は老齢で出来ず、「手作りでは三条におります、竹内さんは十分経験がありますから訪ねてみなさい」と言われたとの事。私も未熟だが経験がありぜひ作ってみたく、二つ返事で承諾致しましたが三条では全て分業ですので、鍛冶場が無いと言いますと「それは大丈夫、刀鍛冶の鍛冶場を借りましょう」との話しがトントン拍子に進みました。

 その話の中で美術品の刀は別だが、良い鋸は刀より高価な物もあったのではないかと話しを致しますと、ぜひとも再現させて下さい。と帰って行かれました。
 40人位バスで来てテレビ取りをするそうなのです。参考に名人・宮野鉄之助氏の手作り場面を映したビデオテープも送られて参り、手作りは一人では出来ませんので協力者を探さなければなりません。色々考えているうちに昭和天皇のご病気に全てが自粛となりました。ご病気もはかばかしくなく、下血が止まらぬ御様子に再開はあるのだろうかとも思っていました。
 私が和歌県のホームセンターに鋸の実演販売に行っていましたが、その場所に電話が入り、一週間後に撮影したいとの話にすぐに帰宅し、三条の各鋸メーカーに協力をお願いしたのですが、私が三条出身でないため、私がクローズアップされる事に抵抗を感じたのではないでしょうか。

 協力者が無く、道具も集まらず断念致し、南川さんに事情を話し諦めた事があります。
あの時、テレビで三条の鋸を宣伝しておけば、と悔しさが残っています。当時、鋸業界は景気が悪く250社ほどありましたメーカーが150社ほどになっていました。
 現在はどうでしょう。兵庫県三木市と並ぶ鋸の産地が数社となってしまいました。
その後、私と、のこぎりを本に掲載したいと三人ほどでお見えになりましたので、南川さんの事を話すと「うちの社長だ」と驚いておられました。”おしん”が世界中に大当たりをして大社長になられたようです。

竹内 英治

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